第30回記念公演写真集



写真1「舞台セット」
劇団蓮(REN)第30回記念公演の演目
「もしもマサルが願うなら」の舞台セット。
イメージはさえない男のアパートの一室。
舞台美術の畔上作成の懇親のセットです。
27回公演の再演ということもあり、
出はけ口や部屋のレイアウトはそのまま。
しかし、装飾物はほとんどが作り直されていました。

写真2「楽屋」
写真は舞台の裏、楽屋でございます。
劇団蓮がいつも使っている劇場と違い、楽屋が広い!
そんな楽屋でのメイクの一コマ。
これだけわらわら人がいても充分人が通れるスペースが
あるという事は非常にありがたい。
特に公演中など楽屋で待機していなければならない
役者にとっては楽屋があり、しかも明るいというだけで
嬉しい所だったりします。

写真3「劇場」
普段劇団蓮(REN)はすごく小さな劇場で公演をしております。
が、今回は30回記念公演ということもあり、
写真にあるくらいたくさんの客席(これでも我々には充分なくらい多い)
で公演をうちました。
おかげさまでたくさんのお客様にご来場いただく事ができて
劇団員、役者、スタッフ一同、本当にありがたいと思っておりますし、
公演を終えてホッとしております。

写真4「スタッフ」
今回ロビーでチケットのもぎりや販売、それと接客をしてくれた
スタッフの人たちの写真です。
劇団員が中心になり、お金の管理をして、お客様とのトラブルが
ないように気を遣う重要なポジションです。
舞台に立つだけが公演ではないということですね。はい。

写真5「舞台写真」
たいした舞台写真がないのですが、この一枚!ってやつ
だけですが、一応載せてみました。
お芝居の中で出てくる「キワモノ」と呼ばれるキャラ達。
悪魔、死神、座敷童し、貧乏神、サンタクロース、かぐや姫
それと神様。それぞれ、お話の中で主人公を相手に
舞台狭しといろいろ絡むキャラクター達です。
この写真のショットは劇中では存在いたしません。
宣伝材料のためのものですのであしからず…。

写真6「集合写真1」
集合写真です。ただし、これは劇中に役者が大きく二つある
衣装パターンの一つです。時に「キワモノ」と呼ばれる
キャラクター達の衣装が違うのです。
それぞれ人間のキャラクター以外の衣装はほぼ手作りの衣装です。
外部に頼む事もなく(頼める余裕もない)出演者
スタッフ一同で作ったものがほとんどです。
これだけのメンツにこれだけの衣装は実際本当に
大変な作業だと思います。

写真7「バラシ」
公演が終わった後の「バラシ」の貴重な写真。
公演が終わるとすぐに舞台セットを崩し、
劇場を元の状態に戻さねばなりません。
そのために、折角建てた舞台セットを全て外し
片付けて持って帰らねばなりません。
写真は舞台セットの裏でパネルを外している風景です。
それぞれ声を出し合い、怪我や事故が無いよう気を付けて作業します。
バラシは仕込みの倍のスピードで作業が完了します。
ちなみに舞台セットを崩し、吊った照明をおろして音響設備もリセット、
それ以外に楽屋の片付け、客席舞台面、もちろん楽屋ロビーにいたるまで
掃除をし、劇場からでるまでがバラシ作業です。

写真8「集合写真2」
こちらがもう一つの衣装バージョンの集合写真です。
この姿で劇中出演している事が役者一同多いはずです。
こうして役者が一同に並んで写真を撮ると結構な人数ですよね。(笑)
もちろん全体ではこれ以外にも舞台裏スタッフも沢山おりました。
この写真は公演の宣伝材料のために
最後のステージの前に時間を設けて撮った写真です。
それぞれの役者の写真もありますが、
それはほとんど個人的なものばかりなので
やはり宣伝には全体で写っている集合写真に限る!
ということでこの写真を選ばせてもらいました。

写真9「打ち上げ」
公演が終わったらそりゃもう、行くでしょう!?打ち上げ!!
バラシが終わり、参加者全体が落ち着く頃動き出す一同、
そして飲み屋へ直行となるのですが、劇団蓮の打ち上げは基本的に
「舞台参加者」と「公演参加者」以外の方は連れてゆきません。
公演を支えた者、行った者達だけの貴重な時間としています。
それくらい大事なのです「打ち上げ」ってやつは!!(切実)
「お疲れ様でした!!かんぱーい!!」
となった時こそ「役者やってて良かったぁ」なんて簡単に
口に出来る瞬間かもしれませんね。(笑)




座長より…
30回記念公演が終わってだいぶ経ちますが、本当に大変でした。
公演の規模がそれまでの公演のものとは一回りも二回りも違った事。
ほとんどが手探りでした。
そのため、中野ザ・ポケットという劇場で公演を行うぞ!と決めてから
約2年。準備期間に約1年半を要しました。
その間もいろいろありましたが、結局じたばたしたあげく、ぎりぎりまで
悪戦苦闘し、ようやく公演にこぎつけた。とういう感じでした。
しかし、おかげさまで集まってくれた役者さん達も、それにスタッフにも
とても恵まれたかと思います。
役者としての技術よりも「人間性」を重視する劇団蓮にとっては
そこさえクリアになれば後はやるだけ!
そんな勢いそのままに突っ走りました。
私としてはここで一段落。劇団蓮の今後にはまだまだ不安もありますが
社会人劇団としてこれからも活動し続ける為の「何か」を
この30回記念公演で得たような気がします。
特にポケットという劇場に対する思い入れが私自身強かったのもあります。
「プロを目指し大きくなってやる!」という
星の数ほどある小劇団達。やりたい事も出来ないまま消えてしまう
劇団もたくさんある中、小さな目標かもしれないこのポケットという
劇場で公演が出来た事が、我々にとってどれだけの達成感であったか。
そう考えると、公演が無事に終了して本当に良かったと思っております。
別に劇場うんぬんの為に公演をしている訳ではありません。
しかし、目の前に目標を立てづらい社会人劇団にとっては
「今しか出来ない事」の一つだったと私は思います。



「社会人劇団として。」
我々は社会人劇団です。
昼間生活をするための仕事、夜は稽古。そして年に一、二回の公演。
いままでもたくさんの人たちとお芝居をしてきました。
年々皆、だんだんと芝居から遠ざかってゆきます。
しかし、それはわかっていた事。

なぜやめてしまうのか?
そんなことは知った事ではありません。
理由はあるでしょう。歳をとれば取るほど…。

「まだ芝居なんてやってるのか?」とは言われませんが…。

でも、肩身は狭くなってゆくものです。
仕事が、生活が…と考えるとそれも仕方ない事なのかもしれません。
人生を芝居に賭けていた者ですら簡単に遠ざかってゆくものです。

「いつでもまた舞台に立ってやるよ」
と思う人もいるでしょうが、それがそうはいかないものなのが
演劇活動の難しいところだったりするのです。

劇団と名乗っている以上、一人で公演は出来ません。
そのために仲間を募るのです。

「芝居をしよう。」と。

オイラはよく回りの連中に言います。
「ウダウダやって一年も二年も舞台に立てない奴がどれだけいるか?」
「今は仕事が忙しい?金が無い?じゃあ、舞台立っていた時は暇だったのか?
金があったか?そのための社会人劇団じゃないか。」

そう、芝居が嫌いになった訳じゃない、またいつか立ちたい。やりたい。
と、思っていても、いつの間にか遠ざかってしまう。

実際思う。「今やめてしまったら、復活するのは難しい。歳を取れば取るほど…」
知識は残るかもしれない。しかし、芝居に対する感覚や、情熱は確実に衰えてゆく。
それがやめてしまうということだと。

芝居への情熱の旬が過ぎても…

なぜ演劇から?芝居から離れていってしまうのか?
流行か?影響を受けてか?ただわいわいやりたいからか?
動機など、どうでもいい。要はやりたくなくなるのだ。
いや、正確には、やれない事にあきらめてしまうのだ。
あくまでオイラの回りでは…?

こんな劇団でも色んな人が行き来してきた。それだけでも奇跡に近い。
それこそ劇団・芝居というものがなければ知り合う事も口をきく事も無かっただろう。
それをたかだか10年芝居を続けて来るだけでオイラは感じるのですよ。
一度離れたら感覚的にやれなくなる。舞台に立てなくなる。
着いてゆけなくなる。(肉体的にだけでなくてね)もちろん情熱の問題なんだが…。
我々劇団蓮(REN)として、長きに渡って舞台に立つためには、
それが50や60の老人になっても、やり続けなければならない。
芝居をはじめた頃の、何なのかもわからない何かに向かって
芝居をしていた旬な時期を過ぎても…。

去っていった者達に知らせてやりたい。そして自分に対しても。

「現実には芝居を続けているだけで、ただそれだけで凄い事なのだと。」


独りよがりな考え方かもしれない。
もちろん、ただ単に舞台に立てればなんでもいい。などとは思いません。
「やるからには。」という小さくもろいプライドも10年近くもやってれば
着くものです。(それこそ独りよがりもいいところだが…)
その為にはいろいろな人たちの協力が必要なのです。
旬な時期を過ぎても、楽しくてやりがいのある芝居活動がしたい。
旬な時期よりも楽しくてやりがいのある芝居活動が…。

それと、この先の自分にこれからどんな仲間達が目の前に現れるか?
その奇跡にこれからも期待したいと思います。
劇団蓮(REN)に幸あれ!!